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重力ピエロは有害映画

「重力ピエロ」は、ある不幸を背負った家族と、連続放火事件の物語。これは、クソ映画とかいうレベルじゃなくて、はっきり「有害映画」と言える。原作となっている小説もストーリーは同じなので、そもそも原作からしてクソなのである。

(以下ネタバレあり)



連続放火事件の謎を主人公とその弟が追う、という形でストーリーが進むのだが、結局、弟が犯人だとわかる。その弟は、母親がレイプされて生まれた子供なのだが、最後に、彼がその犯人(血縁上は実の父親にあたる)を殺す。
褒めた人たちは、考え直してみて欲しい。明確な理由の説明がなされていないのに、主人公の弟が人を殺す。その殺人の必然性は説明したつもりかもしれないけど、全く腑に落ちる説明になっていない。その殺人によって弟は責めも負わず、そもそも殺人は悪として(必要悪としても)描かれない。
これではただの殺人肯定映画だ。主人公も弟の殺人を肯定し、父親も殺人に気付いていながら容認する。もはや殺人推奨映画、と言えるかもしれない。原作者と制作者らは本当の犯罪被害者に顔向けできるのだろうか。
そんなことなら、真面目ぶらずに、無差別殺人に走るマッドな家族のスプラッター・コメディーでも作ればいいのに。


しかし、この映画と原作の最大の欠陥は別のところにある。

「重力ピエロ」とは、「ピエロのように笑っていれば、地球の重力からも自由になれる」という意味で、それが作品の主題になっている。
重力は、血縁や運命のような抗いようのない力の象徴で、ピエロの独特のメイクは笑っている顔に見える。気の持ちよう次第で運命に縛られずに生きることも可能だ、実際に逃れることはできなくても、気にせずに生きることはできる(空中ブランコの間を跳び移るピエロが、実際には重力から自由にはなっていないが、あたかも無重力空間にいるかのように見えるのと同じ)、
というメッセージを「重力ピエロ」という言葉は持っている。
劇中で、最終的に問題の解決の手段として殺人という手段が使われる。動機は怨恨。この場合、人を殺すことはピエロのように笑うことではないだろう。主題に忠実であるためには、主人公の家族は、過去の不幸を背負いながらもそれに堪えて笑顔で生きていかなければならない筈だ。つまり、主人公の家族の決断が主題と矛盾しているのだ。
そのような重大な矛盾を許してしまうのは、原作者・伊坂幸太郎の創作への意識の甘さの表れである。
そうでないとすれば、伊坂氏の殺人に対する認識が軽すぎるとしか考えられないので、そうでないことを祈る。

こんな小説を薦められるままに読んで、面白いと言う。それをよく考えもせずに映画化し、観る者も疑問を呈さない。そんな日本の民度の低さ、もっと言えば人の命への意識の軽さを、嘆く。心から嘆く。
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